逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:アビリーンパラドックス

斉一性(せいいつせい)の原理とは、異論や反論を認めず集団が特定の方向へ進んでいくこと。

例えば裁判で、十分な証拠→目撃者の証言→アリバイの有無→過去の犯罪歴.. など、周りの異論•反論を受け付ける間もなく淡々と話を展開する。しかしこれではただ文章を読み上げているだけで人が集まる意味が全くなく、単なる儀式になってしまう。また、裁判だけではなく政治に会議やスポーツなど、日常生活で頻繁に見られる現象でもある。

もっともらしい意見を畳み掛け相手に思考させる隙を与えない。そんな会議に限っていつの間にか悪い方向に進んでいたりするし、それでは時間の無駄だし、組織や個人は成長しないだろうし利益も生まれないしそれどころかそのうち考えて行動しなくなる。そう思いますよね。いや、そうに決まってる。以上!おやすみ!!

PCオフ!

アビリーンパラドックスとは、組織や集団が下した決断とそれを構成する全ての構成員の意見が相違すること。

例えば金曜日の仕事終わりに上司が部下数人を飲みに誘う。部下たちは嬉しそうについてくるが、実はあまり乗り気ではない。というのもその日は雨だったし、そもそも部下たちはあまりその上司のことが好きではない。しかし別の部下たちが嬉しそうについて行くので「自分だけ行かないわけにはいかない」と、ゾロゾロと同調する。

一方上司は上司で実はその晩あまり体調が優れず、できれば早く帰りたかったが、ここ最近元気のない部下たちを見かねて飲みに誘った。つまり、だ。その晩、飲み会に行ったメンバー誰ひとりとして行きたくなかったのである。

このように、本音でのコミュニケーションが取れておらず、必要もないのに全員がやりたくなかったことを全員でやっているケースは決して珍しくない。まったく、二日酔いでもないのに頭が痛くなってきました..。


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