逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:クオリア

『百聞は一見にしかず』

百回聞くよりも一回見る方が確かなこと。ところが、人間の視覚というのは面白いもので、見たはずのものが実は見えてなかったりする。例えば、

「あ、ほら、あそこにウグイスがいるよ」
「え、どこどこ?」
「ほら、あそこあそこ」
「んー . . . . . .え?どこ?わかんない. . . .  あっ!ほんとだ」

と、指を指されてからウグイスを見つけるのに何十秒もかかってしまった。その間ウグイスは飛んでもいないし、たった一歩も動いていない。間違いなくその人の視界の中にウグイスは存在し、見えていたはずなのだ。

つまりものごとは単に目で見るだけでは不十分で、それを脳で認識してはじめて見ていることになる。「え、駅の横に喫茶店なんてあったっけ?」「え、そんなやつクラスにいたっけ?」..。と、これこそが視覚の死角で、いくら視界に入っていたとしても認識しなければ結局それはないものと同じで、見ていないのである。

そう、この記事もね。 


次の文字を読んでみて下さい。

赤  緑 

問題なく読めますよね?では、次は文字の色だけを読んでみて下さい。文字ではなく色です。

  緑 

どうでしょう、いくら頭の回転が速い人でも少し時間がかかりますね。これは、ストループ効果という、文字の意味と色の名前が干渉する現象で、他にも、

止まれ! 進め や、男子トイレ  女子トイレ 

なども、かなり違和感ありますね。しかし、これと同じようなことが、色でなくとも、日常で繰り広げられているのではないでしょうか。



男女間。

男女の発言には上記の色のように、時に一瞬ではその答えを判断できないときがあります。

例えば、女性が言う「おもしろい人が好き」は、「おもしろくてカッコイイ人が好き」の間違いであり、男性が言う「ぽっちゃり好き」は、「痩せてるけど出るとこ出てるグラマーな体型が好き」のことである。

また、女性が言う「なんでもない」は、大抵「言わなくてもわかってよ」という意味であり、男性が言う「ゴメン、電波無かったよ」は、「ゴメン、電波はあったけど取る気は無かったよ」、である可能性が非常に高いのだ。また、余談だが、女友達が紹介する「松た◯子さん似」は、危険、である。


男が女にドアを開けてあげるのは車が新しいか、女が新しいか。男女はイヴがアダムにリンゴを渡して以来ずっと、「誤解」を繰り返しているのだ。

やはり男、女になるのは、かなりのテクニックがいるようだ。


『だーるまさんがこーろんだ。』

誰もが一度は幼い頃に経験したことだろう。オニが見ていない間、他のプレイヤーたちは動くことができ、オニが目を開けて振り向いた瞬間、ピタッと静止しなければならない遊び。


我々が見る世界も同じようなものではないか。


全てのものは知覚によってできている。自分が目をつぶっている間、さっきまで目の前にあったものがピクリとも動いていないとは言い切れない。そしてそれは目を開けると同時にまた元の場所へ。そう、物質は人に認識されるまでは構成されず、それは見た瞬間に構成されるのかもしれないのである。


始業式の校長先生の話や、酔っぱらった上司の武勇伝。デーブ•ス◯クターのギャグや、年越しをハワイで過ごす芸能人へのインタビュー。その中身は『意識』しなければ聞こえてこないし、自分の名前を呼ばれているのにボーっとしていて気づかなかった時。その声は自分には届いていなかった、聞こえてこなかった、つまり自分の中では存在していなかったことと同じである。

それはいくら自分がイイ話を持っていても、聞く人がいなければその話は存在しなかったことと同じであり、あなたがいても何も行動しなければ、あなたが存在していないことと同じである。

いくら『ありがとう』と思っていても、伝えなきゃ、そのありがとうは一生存在しない。

何度でも起き上がり、気持ちを伝えよう。




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ロボットに意識はあるか?

人はロボットに意識がないことをどうやって証明できるのか。 



喋らないからなのか。死なないからか。人間に操られているからか。それとも電池を入れないと動かないからか . . 

しかし喋るロボットは何十年も前から存在し、機械は壊れる。人間に操られている人間はゴマンといるし、我々人間にも電気は流れている。

我々が毎日使う電化製品も、電気が流れていなければそれはただの物体であり、そして人間も構成物質の間を行き交う電気信号がなければ死んでしまう。人間こそ単なるロボットに過ぎないのではないか。


ロボットはテクノロジーの進歩に伴ってその挙動が日々現実の生物に近づいている。そして人は限りなく人間に近いロボットを生み出そうとしている。それは自らを愛して止まない人間の性なのかもしれない。



ウィーーン、ガシャン、ポチッ

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森の木々って、

倒れるとき、音しますよね?


ドデーン!?

バサバサっ?


メキメキメキっ?


うまくは表現できませんが、何かしらの音はするはずです。そしておそらく私たちは、それを聞いたことがあるはず。

見たこともあるはず。この眼で。


では、" 見てなければ " どうだろう?

森で木が倒れても、その音を聞く人がいなければ音を立てるのだろうか? 


 
『頭おかしいんじゃねーの? 音を立てるに決まってる。』


ありがとうございます。よく言われます。でも. . 『決まってる?』。
どうしてでしょう?



『んー . . . そういうもんだ。』

うまく説明ができないですよね。
なんせ、あなたはそれを見たことが無いのですから。


そう。
電車の音だって、テレビの音だって、美しい音楽だって、あなたが発しているその言葉だって . .『意識』しなければ聞こえてこない。あなたが勉強に集中していたりボーっとして人の話を聞き逃した時、その話はあなたには聞こえてこなかった、つまりあなたの中では存在していなかった。ことと同じですよね。

逆に、いくあなたが良い話を持っていても、聞く人がいなければそれは存在しないことと同じであり、そして、あなたがいても何も行動しなければ、それはあなたが存在しないことと同じなのです。


失敗したっていいんだ。

行動に出ることで、人は初めてあなたを認識する。



コウモリにとって、コウモリであることはどういうことか?

彼らは私たちをいったいどのように見ているのか。


ご存知の通り、彼らは口から超音波を発する。ご存知の通り、その反響音を元に周囲の状態を把握している。ご存知の通り . .  


ご存知 . . .ですか?


時が進むにつれ、人はたくさんのことを理解してきた。たくさんの謎を解いてきた。コウモリの感じ方でさえ。

しかしその本当の答えを知る術を持っているわけではない。なぜなら、コウモリではないからだ。逆にコウモリにとっても人間がどのようにコウモリを見ているかなんてわからないし、今このブログを書いている私も読者の方にどう見られているかなんてわからない。



結局相手のことを100%理解するなんて、その人になって、その人の人生を味わってくるぐらいしないとわからないだろう。そしてそれはもちろん不可能な話である。そう、不可能なことである。


あなたにとってあなたであること。それはあなたにしかわからない。『あなた』は、あなたにしか体験できない。


世界は誰でもない、

あなたを中心に回っているんだ。 



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関連記事:
『逆転クオリア』『カルテジアン劇場』



 私たちは感情や感覚を持って今、世界を見ている。




『哲学的ゾンビ』。その感情や感覚を全く持たない人間のような生物をこのように言う。

ヤツらは社会に出れば人と触れ合い、笑い、怒り、泣いたりする。けれども、それはそう動作するように定められているからであって、実際彼らは何も感じていない、つまり、感情や意識がないのにあるフリをする人間と瓜二つのゾンビである。

ココロはないのに、それとすぐには解らないように、人と同じようにワクワクしてみせたり、イラッとしてみせたりする、人間と区別がつかない恐ろしいヤツなのです。 

そして、『区別がつかない』、ということは否定ができない。この世に、いや、あなたのすぐそばにゾンビがいる可能性があるのです。






哲学的ゾンビ、ホントはおかしくも何ともないのに笑ったり喜んだりするヤツ。


あれ、

ひょっとしてあなた . . 




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この世界のどこかに、白黒の部屋で生まれ育った、マリーという女性がいる。


マリーはこの部屋から一歩も外に出たことがない。つまり、彼女は産まれてから一度も『色』というものを見たことがない。


白黒の本を読み様々なことを覚え、白黒のテレビを通して世界中の出来事を学んでいるマリー。そんな彼女は、とても有能な科学者で、光の特性や、眼球の構造、網膜の仕組み、視神経や視覚野の繋がり、どういう時に人が『赤い』『青い』という言葉を使うのか、つまり、視覚に関する全ての物理的事実を知っている。


では、そんなマリーが、この白黒の部屋から解放されたらいったいどうなってしまうのか?

彼女はいったい何を学ぶのか、何に驚くのか、虹の美しさ、四季の変化、むらさき色の髪の毛のおばあちゃんの存在、はたまた松崎しげるのそのままさ。か。


視覚に関する全ての物理的事実を知っていた彼女。諸説あるが、彼女が学ぶものはきっと計り知れないだろう。



だって、どれだけ科学が発展していっても、どれだけ知識があっても、

世界には証明できないものがある。



世界はあり得ないことで溢れている。それはこの私たちだって。



 We are an impossibility in an impossible universe.

我々はあり得ない宇宙に生まれた、あり得ない存在である。



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ちょっと聞いてもいいですか?









このトマト . . .  何色ですか?
 


ヘタではなく身の部分です。












. .   

だと思いますけど . . .  』













そうですか?





それでいいですか? 本当に?







『あ . . . . はい。』










そうですか。




なら、いいんです。

なら全然問題ないんです。


あなたがそれでいいのなら。










では仮にこのトマトの色を、あなたの友達が『青だ!』と言いだしたら、あなたはどうしますか?









おそらくあなたは、


『間違ってるよ?』


『アタマおかしいの?』


『病院ついてってあげようか?』





あるいは、



『うん、そだね!!』




って、用事思い出して帰りますよね?




















でも、













彼が言っているは、あなたが思っているだったならどうしますか?






そして彼が言っているは、あなたが思っているだったならどうしますか?






わかりにくいですか? じゃあ、彼にとって、

『地球はかった』
らどうします?









. . .


文字の色が気になっちゃいますよね。


違和感ありますよね。
















そう、

私たちはただ、モノに都合のいいように名前を付けているだけ。










『赤を青と言え。』とは言いません。


でも、










私たちは、たとえ同じ空を見上げても、他人と全く同じように感じることは決してないんです。
 





あなたが他人と全く同じように感じることは決してない。




それはあなたがあなたである証拠なんです。





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