韓国の南大門市場で買い物をしていたときの話、
突然、
突然、
『アニキ、カンペキナニセモノアルヨ!!』 と、みやげ屋のオバちゃんに声をかけられたことがある。経験者も多いだろう。
『アニキ』の方も気になって仕方ないが、今回はいったんスルー。『カンペキナニセモノ』 . . 『完璧な . . 偽物』 . .
一瞬でわかる。矛盾している。
本当に完璧であればそれは偽物でなくなるし、偽物であればそれは完璧には成り得ない。
しかし、矛盾しているのはなにもファンキーなオモニ達だけではない。
言葉、音楽、芸術、テクノロジー。日々新しいものを作り出している現代人。
しかしそんな私たちも誰かのマネをしている。日々、パクリを繰り返している。
いくら世紀の大発明をしたって、それは誰かが『発明』という概念を作ったから可能なのであり、いくら新種の発見をしたって、誰かが『発見』という行為をし出したからできるのである。
そんな私も、誰かがやり出した『読書』をし、誰かがやり出した『映画鑑賞』をして、誰かがやり出した『ブログ』に誰かが考えついたアイディアをパクリ、混ぜ合わせたものを『執筆』というマネごとによって表現している。
人生なんてモノマネの繰り返し。
パクってパクって、オリジナルなものを作り出している . . .
そう。人類みな『コロッケ』である。
人類みなヘン顔である。
『音楽』というジャンルは作れない。僕たちは音楽をマネして曲や詩を作ることしかできない。人はマネをすることでしか生きられない。
『音楽』というジャンルは作れない。僕たちは音楽をマネして曲や詩を作ることしかできない。人はマネをすることでしか生きられない。
しかし僕たちは、好きなパーツを、生地を、言葉を、メロディを選ぶことができる。マネを繰り返し、マネを混ぜ合わせ、全く新しいものを作り出すことができる。
そして、それもいつかはマネされてしまうのだろう。
なら、
誰にもマネできないような、あなたという、
誰にもマネできないような、あなたという、