逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:コミュニケーション

仕事や学校生活など、集団行動にかかせないコミュニケーション。そんなコミュニケーションの能力は個々のスキルよりも重要視され、ほとんどの自己啓発本には少なからずそのノウハウが著述されている。では、「コミュニケーションが取れている状態」とはどんな状態か。それは相手の気持ちを理解し、それぞれが何をすべきかを知っている状態、つまり心が通い合っていること。

何年も同じ職場で働いてきた同僚や、何年も同じチームで戦ってきたチームメイト、そして同じ屋根の下で寄り添った夫婦。彼らにはもうお互いの考えや行動パターンが読めている。それゆえにムダな会話が全然ない。まるでテレパシーで交信しているようにさえ思わす。そう、つまりコミュニケーションが取れている人たちほど、コミュニケーションは必要なくなってきたりする。
 
言わんとしていることわかりますよね。え?わからない?そうですか..。私ももっと読者とのコミュニケーションが必要ですね。


 

メールにブログ、掲示板やオンラインゲーム、そしてSNS。ここ十数年で急速に広まってきたインターネットを介したコミュニケーションツール。人々は以前よりずっと気軽に、意見や時間を共有するようになった。形式は変われども、この手のものはきっとこれからも存在し続けるだろう。

さて、そもそもインターネットというのは、個人間や、企業間、はたまた国どうしのやりとりの際に、非常に便利かつ画期的なツールである。遠く離れた相手と直接会わなくても意見を交わせ、近況やスケジュール確認なども容易に可能にする。

しかしその反面、実際に会って話をするフェイス•トゥ•フェイスでのコミュニケーションは減少し、相手の声を聴いたり、顔を見るのはいつも端末越し。そして、気分転換に始めたSNSなのに、あまりに大量の情報でかえってストレスが溜まり、そのうえ他人と自分の人生を比較するクセがつきやすく、劣等感や疎外感を感じることも多々。

つまり、コミュニケーションツールとしてインターネットを使えば使うほど、社会的な能力は縮小してしまう可能性があるのだ。

え?じゃあこのサイトもそうだって?

. . . 



 

荒らし。

ものごとの秩序を無視して無法に振る舞うことで、近年では、インターネット上の掲示板やSNS、チャットやブログなどのコミュニケーションの場で、その利用者を不快にさせる妨害行為を行うことを指す。

そんな荒らしをやめさせようと、根拠のない誹謗中傷コメントに直接反応する。しかしこれでは彼らの思いのままで、気づけば自分が一番の荒らしになっていたりする。そう、つまり荒らしに反応すればするほどその場を荒らすことになる。

怒り。それは誰かに自分の大切な時間、つまり寿命を削り取られること。たいていは自分の嫌いな誰かに。
 
 

孤独。わかり合える人がおらず、独りであること。

なんせ現代人は孤独を抱えやすい。しかし、それはなぜなのか。電話はもちろん、インターネットを介したメールやチャットにブログや掲示板。コミュニケーションの場はここ数年で何倍、いや、何百倍にも増え、いまや世界中の人と四六時中繋がっていられるではないか。ところが、何を隠そうこれこそが、孤独を作り出している大もとである可能性が高い。

というのも、いつでも誰でも誰とでもコミュニケーションを取れるからこそ、それがなくなると異常に不安になり、疎外感さえ感じてしまう。SNS上に共通の友人が仲良く騒いでいる写真や、呼ばれていない親友の結婚式のお礼コメントを見つけ、哀しい気持ちに。あるいはほんの少し恋人からLINEがなければ、イケナイ妄想が、昼ドラ作家よりも頭に浮かぶ。

つまり、コミュニケーションの場が増えれば増えるほど、人は孤独を感じやすかったりする。たまには電源切って、自分とコミニュケーションする時間も大切、なのかもしれませんね。

 

斉一性(せいいつせい)の原理とは、異論や反論を認めず集団が特定の方向へ進んでいくこと。

例えば裁判で、十分な証拠→目撃者の証言→アリバイの有無→過去の犯罪歴.. など、周りの異論•反論を受け付ける間もなく淡々と話を展開する。しかしこれではただ文章を読み上げているだけで人が集まる意味が全くなく、単なる儀式になってしまう。また、裁判だけではなく政治に会議やスポーツなど、日常生活で頻繁に見られる現象でもある。

もっともらしい意見を畳み掛け相手に思考させる隙を与えない。そんな会議に限っていつの間にか悪い方向に進んでいたりするし、それでは時間の無駄だし、組織や個人は成長しないだろうし利益も生まれないしそれどころかそのうち考えて行動しなくなる。そう思いますよね。いや、そうに決まってる。以上!おやすみ!!

PCオフ!

後知恵バイアスとは、ものごとが起きたにそれを『予測できたこと』と考えること。

「ほらね?」「言ったでしょ?」「あ、うん、知ってたよ」..。

たとえ予想時に自信がなかったとしても、それが当たることで「やっぱり自分は正しかった」「俺の予想に狂いはなかった」とふんぞり返って満足し、より一層自信を深めます。それがマグレ当たりだと気づきもせず..。

では、果たして彼のプロセスに対しての予想は当たってたのでしょうか?

そう、そういう人に限って結果ばかりにこだわりプロセスは一切無視。『結果オーライ』なんて言葉もありますが、もしプロセスを外していたのなら次回やその次も同じように結果オーライになることは極めて難しいだろう。

え?「なるほど、だから自分は失敗が多いんだ」って?

ほらね? 

暗黙の強化とは、自分と対照的な人が褒められたりけなされることで、関係ない自分にも心理的影響があること。

例えば、いつも必ず時間を守るAくんが「Aくんってホントいつも時間を守ってエラいね~」と褒められているのを見ると、頻繁に遅刻するBくんは自分がけなされたように感じる。

逆に、「Aくんって時間にきっちりし過ぎてなんか疲れるのよね~」と言われているのを見ると、Bくんはなぜか自分が認められたような気がしてしまうのだ。 

そう、人を褒めるのも充分周りに注意してからじゃないといけません。もちろん決まりなどはありませんが、あくまで暗黙の了解で..。


ヤマアラシのジレンマとは、たとえ寒くとも、互いのカラダに鋭い針を持ったヤマアラシ同士は、身を寄せ合って暖を取ることができず、近づき過ぎると互いを傷つけ合ってしまうというジレンマ。

『近づきたいけど近づけない』。社内でのコミュニケーションや上下関係、クラスメートに友達との付き合い。そして、恋愛。

『この思いを告げてあの人のそばにいたい。でもそんな勇気がない。』

なぜ勇気が出ないのか。それは自分のことが可愛いからである。自分が傷つくことを恐れ『箱入り自分』になってしまい、想いは想いのままに。

そう、好きな子に告白できないのは、その人よりも自分のことを大切にしているから。その人のことを自分より愛する勇気がないこと。そんな恋なんて今すぐ捨ててしまえばいい。

あなたのその気持ち、傷つくことを恐れなければきっと通じる。

細い細い針にも糸が通るように。




面倒見がいいと評判だが、これまであまり話をしたことのない上司と食事に行くことに。


その晩、上司はあっさりしたものが食べたいと思っていた。しかし若い部下を気遣って、『よし、ステーキでも行くか?』と、提案します。一方の部下も、体調が悪くあっさりしたものが食べたかったが、上司を気遣い『ステーキいいですね!さすが部長!』、と。さらにそれを見ていた他の部下もすかさず意見を合わせる。

そして一行は誰も行きたくないステーキハウスへと . .





これは相手のことを考え意見がぶつかるのを先読みした人たちが、互いに望んでいない未来を生み出してしまうパラドックス、 いや、あるあるである。



『話し合えばうまくいくはず』が、話し合ったせいでうまくいかない。

人間は『反対』という行為をするとき、いくら自信があっても心のどこかには少なからず不安を潜ませているもの。ならたとえそれが自分の意思に反していても、『賛成』の方がエネルギーを使わず、ずーっとラクでいいのだ。

そう。全員の意見が一致 = 全員の意思が一致、とは限らない。



読むのは空気ではなくココロ。



その人、

ホントにステーキ食べたそうですか?





Well done!!

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ヤマアラシのジレンマとは、

寒さに凍える2匹のヤマアラシが身を寄せ合って暖め合おうと近づく。しかし、あまり近づき過ぎるとお互いの針が刺さってしまう。でも、かといって離れるとやっぱり寒い。2匹は何度も近づいたり離れたりして、お互いに傷つけ合わず、そして寒くない距離を見つける。というもの。


人間関係も、お互い踏み込み過ぎると傷つけ合ってしまったり、相手の悪いところばかり見え、関係を保てなくなる。だからといって離れ過ぎても疎遠になり、関係が壊れてしまう。


相手の針の長さを知り、そして自分の針の長さを知れば、


全てはうまくいく。



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