逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:ジレンマ

検診。

病気にかかっているかどうかを調べたり、その予備軍ではないかどうかを判断するために行う診察や診断のこと。

これを受けたことのない読者は、まずいないだろう。学校や会社で強制され、またはボランティア団体に促され、今日もどこかで検診が行われている。間違いない。そしてその検診によって今日も誰かが救われている。こちらも間違いない。

しかし、それと同時に誰かを不健康にしている、かもしれない。

というのも、検診を受けて何も異常がないこと、例えば飲んべえの人が、自分の肝臓や脳、血液に何の異常を認められなかった。つまり健康だったらさあたいへん。今晩は間違いなく日本シリーズを制したような祝勝会が開かれるだろう。

ヘビースモーカーやカフェインラバー、ポテチイーターやソクセキMENにネブソクン(※勝手に命名)もみ~んな一緒。そう、『健康』というハンコが押されてしまえばかえって依存量は一気に増えてしまう。

つまり、だ。検診をすればするほど多くの人を健康にするが、それと同時に多くの人を不健康にしてしまうのある。 

こんなひねくれたものの見方をする私。連休明けくらいにちょっと検診行ったほうがいいな。 
 

スカイダイビングやバンジージャンプ。高飛び込みに落とし穴。爆破やビンタにタイキック。ローション相撲に熱々おでん、ゲテモノ食い、秘境探検、心霊スポットに野獣とバトル..etc。

ドッキリやスタントマン顔負けのアクションに体を張り、執拗にイジられ、そのオーバーなー動きや言動で茶の間を沸かす、いわゆる『リアクション芸人』。ベテランにもなると、その技術には目を見張るものがあり、騙されたり、泣いたり尻餅をつくところまで計算に見えないことも、なくはない。

そんな彼らが体を張れば張るほど人々は腹を抱え、「もっとやれ」とばかりにテレビの前で煽り出す。ところだ、そんな極限の状況にチャレンジする彼らがひとたび血を流せば映像はお蔵入り。生放送なら画面は切り替わり、謝罪のコメントが並ぶ。

当たり前と言えば当たり前である。家族団らんの機会に誰も血まみれで、腕が逆に曲がったオッサンの映像は見たくない。つまり、リアクション芸人が肉体的に頑張れば頑張るほど、逆に笑えなくなってしまう、とも言えるのだ。

ヤバイよヤバイよー

 

シンプルな考え方、シンプルな仕事っぷり、シンプルな暮らしに『シンプルイズベスト』なんて言葉もある。いつの時代も世に愛され続けてきたシンプル。そしてそんなシンプリシティをこれまで幾度となく追求してきた人類。しかしその道は決して平坦な道ばかりではなかっただろう。

例えば、考え方をシンプルにするには無駄に考えること極力避け、本当に必要なものだけをピックアップしなければならない。しかしそれは考え始めたばかりの人には極めて困難で、その技術はたいてい過去に何度も無駄に思考したことのある人が持っていたりする。仕事や暮らし、そのほかもこれに同じである。

つまりものごとをシンプルにしようとするほど、その作業はとても複雑。その糸を絡めたのも、絡まった糸をほどくのも、何を隠そう我々自身だというのに。


 

とある小学校の生徒が校庭にゴミを投げ捨て、それを見かけた先生に叱られた。でもなぜだろう、普段はとてもいい子なのに..。先生が理由を尋ねると生徒はこう返す。

「だってせんせ、ゴミすてないとそーじのオバちゃんのおしごとなくなっちゃうもん」

さてこのガキ、いや、子供の言ってることはあながち間違いではない。この私立学校の経営状況は芳しくはなく、確かに学校がキレイなら清掃業者との契約は打ち切られる、あるいは条件が厳しくなる、つまり数人がリストラに遭う可能性は無きにしもあらず、なのだ。

そう考えた生徒はその後もポイ捨てを続けた。しかしその結果掃除のオバちゃんが視察にきた上司に手抜きとみなされクビになってしまうことになるとは、この時は知る由もなかった..。

そう、中途半端な優しさは必ず凶器になる。そんな優しさこそ今すぐポイ捨てしてしまおう。


どこでも行きたいところへ連れて行ってくれるドア、『どこでもドア』。あらゆるシーンで使われるほど重要であるどこでもドアはドラえもんが22世紀から持ってきた数あるひみつ道具の一つ。しかし、そのどこでもドアは本当に22世紀で使われているのだろうか。

未来が便利になればなるほど犯罪も多様化していき法律は厳しくなる。プライバシーの尊重なんかも今よりずっと重んじられるだろう。そうなればどこでもドアで他人の家に行くのは御法度だろうし、お風呂場なんてもってのほかだ。結局どこでもドアで行ける場所は固く固く制限され、結局どこかしか行けないドアになり、加えて人間のことだ、間違いなく通行料も発生するだろう。つまりどこでもドアは20、21世紀だからこそ成立しているのだ。

夢のない話。でもそうしているのは他でもない、我々だ。本来人々の暮らしを便利にするためのインターネット上に無数の犯罪がひしめき合っているように、これまで数々の便利な発明が生まれてきたが、一方でその使い方を誤り消えた、または大きく制限されてしまったものは決して少なくない。そう、便利と幸せは必ずしも比例しないのだ。


ヒーロー。仮面ライ◯ーやスー◯ーマン、スパイダー◯ンにアンパ◯マン。また、現実の世界でも悪をくじき弱きを助けるような人のことを我々はヒーローと呼ぶ。しかし、ヒーローの慈善行為は時に大きな大きなジレンマに直面する..

かつて映画『ダークナイト』で史上最凶の悪党ジョーカーがバットマンに吐いたセリフ「お前が俺を完成させる」は、まさに真理をついていて、正義の力が大きくなればなるほど悪の力も大きくなる。

つまり悪を増殖させているのは誰でもない、お前なんだ、と、正義の味方バットマンの存在を全否定、いや全肯定して精神的に追い込んだジョーカー。彼が狂気と快楽だけで行動するただのサイコパスではないことを自ら証明してみせた。

決して悪を肯定してはいけないが、真っ向から否定してしまうのはもっとよくない。悪魔がいるから神がいて、困難があるから成功がある。病気があるから健康があり、差別があるから平等があり、不便があるから世の中はどんどん便利になっていく。一番悪いのは『悪い』ということから目を背けてしまうこと。それが本当の敵。


未来の出来事を言い当てる者、予言者。

しかし、彼らはいつもうそつき呼ばわりされる。予言を他言してしまうからだ。

例えば一件の事故を予言する。そうすると予言を聞いた人は疑いつつも事故が起こらないように気をつける。すると本来起こるはずだった事故はなくなってしまうため、結局予言は外れ予言者はうそつきに。つまり、予言者がどれだけ未来を知っていたとしても、それを他言することはできず、ただただ眺めているしかないのである。

もし彼らに他言できる予言があるとすれば、それは『誰も私の予言なんて信じてくれないだろう。』だろう..。

かわいそうだろう..


カサンドラとは、未来を予言するチカラを与えられたと同時に、その予言を誰も信じないという呪いをかけられた悲劇の王女のことである。

彼女が「国が滅びる」と予言しても誰も信じてくれず、仮に信じたとしても国民は対策を練り、前もって破滅を回避するので、結局国には何事も起きず彼女の予言は外れて彼女は嘘つきに。

つまり彼女は未来を知っているのに、ただそれを眺めていることしかできないのである。


そう、一番確実な未来予知の方法は、自分で未来自体を創りだしてしまうこと。



  

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イノベーション: 新機軸、技術革新。


『最先端!』『最高性能!』 『最高レベル!』

常に技術革新を求める人間。しかし性能を上げれば上げるほど儲かるというわけではなく、逆に適正価格や従来のニーズから外れてしまい、かえって失敗する。

近くは『PS3 対 Wii』が挙げられる。機能 対 アイディア。どちらが勝利したかは見ての通りである。



人にも同じことが言えるだろう。

自分磨きに精を出す人、とても素晴らしいことである。しかし磨き倒して結局周りから『近寄りがたい人』扱いされている人をよく目にする。(もちろんその人が良ければそれでいいのだが。) しかしそれはピカピカに磨かれて注目を浴びる車が、それゆえに誰からも触られないでいることに似ている。

変わった人も、ただの変わった人と時代から求められる変わった人に分けられるのだろう。変人かクリエイティブか、つまり闇雲に自分磨きをはかるのではなく、自分自身も時代とニーズに合わせた革新が必要なのである。なぜなら自分自身もある種の商品だからである。


自分の存在価値を買ってもらえるか、努力も方向性を間違えれば大赤字。やがて破産してしまう。そう、最も強力なイノベーションとは持続的に努力を繰り返すことではなく、ほんの少しだけ椅子の背にもたれて全体を見渡してみること、なのかもしれない。

あれこれ機能を付け足して、ついお高くなってはいませんか?

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関連書籍


『遊びにいってきます。』
『先に宿題してからにしなさい。』

『ケーキ食べよ。』
『こんな夜中に?やめなさい。』

『あの人のことが気になってるの。』
『やめときなよ、あんなのたいした男じゃないよ。』 

 『もう!イチイチ人の考えにクチ出さないでよ!あなたって人はホントに寛容じゃないんだから。』
『君の方こそ。』

『え?なんでよ!』
『だって「寛容であること」っていうのは、寛容でないことも寛容に受け入れないといけないだろ?だから君も全然寛容じゃない、むしろ不寛容だよ。』

『おだまり!』
『ほらまた。寛容じゃない。』 




さて、ケンカ中の二人は放っておいて、実はこの二人、どちらもとても寛容なんです。

『寛容』とは相手の行動や言動を受け入れてやること。両者は互いに言った言葉に対して必ず反応している。つまりしっかり相手の意見をキャッチしたうえで、そのボールをちゃんと相手に投げ返している。



そう、実は最も寛容な人とは一番気が短い人で、最も寛容でない人とは一番我慢強い人。


そんなに無理して怒りを我慢する必要はない。たまには寛容に怒りを認めてもいい。

それはきっとその人に必要なはずだから。



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ヤマアラシのジレンマとは、たとえ寒くとも、互いのカラダに鋭い針を持ったヤマアラシ同士は、身を寄せ合って暖を取ることができず、近づき過ぎると互いを傷つけ合ってしまうというジレンマ。

『近づきたいけど近づけない』。社内でのコミュニケーションや上下関係、クラスメートに友達との付き合い。そして、恋愛。

『この思いを告げてあの人のそばにいたい。でもそんな勇気がない。』

なぜ勇気が出ないのか。それは自分のことが可愛いからである。自分が傷つくことを恐れ『箱入り自分』になってしまい、想いは想いのままに。

そう、好きな子に告白できないのは、その人よりも自分のことを大切にしているから。その人のことを自分より愛する勇気がないこと。そんな恋なんて今すぐ捨ててしまえばいい。

あなたのその気持ち、傷つくことを恐れなければきっと通じる。

細い細い針にも糸が通るように。



どちらの方が臆病か。

威勢のいい二人の若者がそれぞれの車に乗り込み向かい合って走り出す。先に避けるかブレーキを踏んだ方が負け、不名誉なチキンの称号が与えられる。 


ここで、このレースに勝つとっておきの必勝法を紹介しよう。先に自分の選択肢を無くしてしまうのだ。

では、どのようにそうするのか。簡単。ぶつかる前にハンドルを取ってしまうのである。走りながらハンドルを取り、それを相手に見せる。それを見た相手はよほどの自殺願望がない限り『やべっアイツ頭おかしい』と、ハンドルを切る。つまりあなたの勝ち。そう、ハンドルを取った時点で勝利が確定する。


とも言い切れない。何故なら相手も同じことを考えていて、全く同じタイミングでハンドルを取るかもしれない。『おいおいおい、同じことするなよ!意外と気が合うんじゃないか〜』THE END。



待てよ。なら、はじめからハンドルを取って走ればいい。

しかし!向こうもはじめからハンドルを取っているかもしれない。『何ぃい!ひょっとして親友になれたんじゃないか〜』、THE END。続編無し。


いや、そんなレース走る意味がない。結局意気投合した彼らが人生のハンドルを誤ることはなく、そのまま二人で遊びに出掛けたとさ。めでたしめでたし。


そう。遊ぼう。

人生のハンドル操作にも必ず遊びが必要である。






山田くんハンドル全部持ってって!



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