逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:パラドックス

色事にめっぽう関心が強く、すれ違う女性が少しでもタイプなら振り返り、「隙あらば」と自分から声をかけ、その際下心はできるだけ隠し、イケナイとわかっていながら道を踏み外すこともしばしば。そういう人は、文字通り『オンナ好き』と呼ばれ、また逆も然り。男性好きな人も冷ややかな侮蔑とともに、あるいは微かな妬みとともに『オトコ好き』、こう呼ばれる。

話は変わって、スポーツや学問、伝統芸能や料理に仕事。我々が何かを極めるには、多角的にものを考えたり、幅広く多彩な経験をする必要がある。しかしそれよりもっと大切なのは、より深く、より奥まで、そこに踏み込んでいかなければいけない。そこに一点集中しなければならない。

そうすると、手当たり次第たくさんの女性や男性に手を出していれば、いつまで経ってもその深みには辿り着くことはできず、結局なんにも習得できないまま。つまり、だ。真のオンナ好きというのは、ずっとひとりの女性を愛し続けた人。だったりするわけである。そしてまた逆も然り。
 
 

どこでも行きたいところへ連れて行ってくれるドア、『どこでもドア』。あらゆるシーンで使われるほど重要であるどこでもドアはドラえもんが22世紀から持ってきた数あるひみつ道具の一つ。しかし、そのどこでもドアは本当に22世紀で使われているのだろうか。

未来が便利になればなるほど犯罪も多様化していき法律は厳しくなる。プライバシーの尊重なんかも今よりずっと重んじられるだろう。そうなればどこでもドアで他人の家に行くのは御法度だろうし、お風呂場なんてもってのほかだ。結局どこでもドアで行ける場所は固く固く制限され、結局どこかしか行けないドアになり、加えて人間のことだ、間違いなく通行料も発生するだろう。つまりどこでもドアは20、21世紀だからこそ成立しているのだ。

夢のない話。でもそうしているのは他でもない、我々だ。本来人々の暮らしを便利にするためのインターネット上に無数の犯罪がひしめき合っているように、これまで数々の便利な発明が生まれてきたが、一方でその使い方を誤り消えた、または大きく制限されてしまったものは決して少なくない。そう、便利と幸せは必ずしも比例しないのだ。


ここは弁護士のタマゴたちが集うとある法科大学院、つまりロースクール。そこで学ぶ一人の生徒が授業料を長期にわたって滞納。困り果てた学校側はついに生徒を訴えることに。しかし、法廷で生徒は次ような持論を展開する。

「僕がこの裁判に勝てば授業料を払わないが、仮に負けたとしても、それは先生たちから十分な弁論技術を教わっていない証拠。なのでやはり授業料は払わなくていい。どちらにせよ僕は授業料を払わなくていいのですよ」と..。果たしてこのくそガキ、あ、いや、生徒が言ってることは認められるのでしょうか?

無論、答えはノーです。でも単純にヘリクツを却下されたわけではありません。というのもこの生徒はたった今、大衆の面前で堂々と巧みな弁論を披露したじゃありませんか。それらはもちろん学校で教わったもの。結局生徒は自ら墓穴を掘り、授業料全額支払ったのでした。おしまい。

もしこれを学校側が意図的にやっていたら凄いことですね。ただ教えるだけじゃなく、生徒のチカラをいつの間にか引き出してやれる指導者こそ、世の中に必要とされている気がします。


アビリーンパラドックスとは、組織や集団が下した決断とそれを構成する全ての構成員の意見が相違すること。

例えば金曜日の仕事終わりに上司が部下数人を飲みに誘う。部下たちは嬉しそうについてくるが、実はあまり乗り気ではない。というのもその日は雨だったし、そもそも部下たちはあまりその上司のことが好きではない。しかし別の部下たちが嬉しそうについて行くので「自分だけ行かないわけにはいかない」と、ゾロゾロと同調する。

一方上司は上司で実はその晩あまり体調が優れず、できれば早く帰りたかったが、ここ最近元気のない部下たちを見かねて飲みに誘った。つまり、だ。その晩、飲み会に行ったメンバー誰ひとりとして行きたくなかったのである。

このように、本音でのコミュニケーションが取れておらず、必要もないのに全員がやりたくなかったことを全員でやっているケースは決して珍しくない。まったく、二日酔いでもないのに頭が痛くなってきました..。


新聞、雑誌、テレビ、スマホにワンクリックでありとあらゆる世界にワープできるインターネット..。いま、社会は情報で溢れている。非常に便利な世の中であるが、しかしその反面危険な落とし穴も存在する。

情報を収集すればするほど問題解決の時に役に立つかもしれない。しかしあまり過度に情報に依存すれば問題に直面したときにすぐに情報に頼るようになり、ついには自分で思考しなくなる。つまり、情報が多ければ多いほど人は考えなくなる。
 
そう、時には情報を制限、あるいは消去していくことも重要。

この記事も必要ないと思ったら今すぐ忘れて下さいね。


19文字以内で記述できない最小の自然数を求めよ。

自然数とは、『0』以外のマイナスや小数点のついていない数字のことで、個数や順番を表す時に使うものだが、でも19文字以内で記述できないんだったら記述できないに決まってるじゃないか、とツッコミを入れたくなる、しかし、実は既に答えは出ている。

19文字以内で記述できない最小の自然数とは『19文字以内で記述できない最小の自然数』である。おわかりだろうか。数字を使って答えよとは一言も言っていない。数字では19文字以内で記述できないが、言葉によってできてしまったのだ。

なぞなぞ?ヘリクツ?確かにそうかもしれない。しかしこれと同じように、多くの場合人は問題を正面からしか見ていない。既に答えは出ているというのに..。


全てのカラスが黒いことを証明するためにはどうすればいいのか。

一羽ずつ捕まえて確認するのか、専門家に聞きに行くのか、それとも日本野鳥の会にカチカチしてもらうのか。しかし、ここにカラスを一羽も見なくてもカラスが黒いことを証明する方法がある。

もし全てのカラスが黒いのならば当然その逆、黒くないものはカラスではないはず。なら黒くないものがカラスでければ全てのカラスが黒いことがわかる。つまり、黒くないものを全部見ていってそれらがカラスでなければカラスを一羽も見なくとも全てのカラスが黒いことを証明できる。しかし、それはそれで面倒なんじゃないか。直感と論理的な思考の間に誤差が生じてしまうのだ。

ま、白いとか黒いとか、カラスの勝手でしょ。
 

トラブルやハプニング、ありとあらゆる困難に臨機応変に対応し、初対面の人とも打ち解けやすく、発想の転換が得意で、頭のやわらか~い人、いわゆる『柔軟な人』。そんな人は周囲から慕われ、会社にも重宝される。そしてその逆、『頭がカタい人』は毛嫌いされる。

しかし、そんな柔軟な人は本当に柔軟なのか。

例えば、柔軟な人は『頭がカタい』ということを柔軟に理解しているのだろうか。視野が狭いということを知っていなければ、古い伝統や習慣に固執するということ知っていなければ本当に柔軟とは言えないだろう。そう、柔軟な人は結局なんでもかんでも『柔軟に考える』ということを頑なに実行しているだけの言わば一番の頑固者だったりする。え?ただのヘリクツだ?

はー、柔軟じゃないですねー。 


沼男(ぬまおとこ)とは、ヒトの同一性やアイデンティティの問題に関しての思考実験のことで、

ある男がハイキングの途中激しい雷を伴ったゲリラ豪雨に遭い、避難の途中、ある沼の近くで雷に打たれて死んでしまう。しかし、その瞬間同じタイミングで沼にも落雷があり、あろうことかその沼の泥と雷のエネルギーとが化学反応を起こし、男と全く同じ細胞や分子構造を持ったバケモノ、沼男が誕生してしまう。

カラダも脳も記憶も知識も、何もかもが死んだ男と同じ。なので沼男は何事もなかったかのように死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の寝ていたベッドで、死んだ男の読みかけの小説を片手に寝、翌朝死んだ男が通っていた会社に行き、そしてその夜あるサイトの『泥男』という記事を見る..。

現実味の極めて薄い話だが、しかし泥男でなくとも、我々ヒトの75兆個ある細胞も約7年周期で全て生まれ変わるという。つまり細胞レベルでいえば7年前の自分とは全くの別人。 

なら7年後の誰かさんが泥沼にハマらぬよう今からできること、やっときましょうか。


口を開けばうそばっかりのうそつき少年、通称ウソキチくん。

彼はいったいエイプリルフールにどんなウソをつくのか。さぞ壮大なウソをついてくれるのだろうと期待に胸を膨らませる。

そして4月1日、朝。ウソキチくんから電話がかかってきた。ウソキチくんは言います「今日俺はお前たちがビックリするような嘘をついてやる。覚悟しとけよ!」

まさかの嘘つき宣言。ますます期待が高まる。しかし、一時間目、二時間目、お昼休みに放課後..。待てども待てども結局その日ウソキチくんがウソをつくことはありませんでした。

もうお分かりですね。ウソキチくんは既にウソをついていたのです。

と、フリの段階でオチに気づいていた方も多いかと思いますが、まだ話は続きます。

ウソキチくんは「ウソをついてやる」と宣言しておいて「ウソをつかない」というウソをついてしまった。つまりウソキチくんが言ったことは立派(?)な有言実行。そう、とうとうウソキチくんは正直者になってしまったのです。それ以来ウソキチくんはウソをつかなくなったそうな。

ま、この話も全部ウソですけどね。

いま自分が体験しているこの世界は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティに過ぎないのではないか

例えばある科学者が、ある人間から脳を取り出しそれを特殊な培養液の入った水槽に入れる。そしてその脳を脳波のコントロールが可能な超高性能コンピュータと繋ぐ。そうすることで水槽に浮かんだ脳にはコンピュータからの映像や痛みのデータが反映され、その人間は『世界』を体感することができる。そしてその人間こそが私であり、あなたなのである。

現実離れしていると思うかもしれないが、決して不可能なことではないだろう。なぜならある研究結果では、頭蓋骨を開けて脳に直接電気刺激を与えると、部屋に誰かがいる気配を感じたり、幽体離脱だって可能だということがわかっている。

そう、知識や行動、経験なども全てプログラミング化され、また、脳が操られていることに自分で気づくことはない。え?「お前気づいてるじゃん」って? いいえ、だって私も今ただただプログラミング化されたことを言っているだけですもの。


• 明日宇宙人が攻めてくる。

• ヒツジは自由に大空を飛べる。
 
• 輪ゴムはひじきと和えると結構イケる。

• 『勇気』は楽天のプラチナ会員だけがネットで買える。

• 今時の引っ越し屋さんは家庭問題も一緒に片付けてくれる。

• この記事に書かれているのは全て嘘である。

 
意外に深い

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