逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:プロタゴラス

ここは弁護士のタマゴたちが集うとある法科大学院、つまりロースクール。そこで学ぶ一人の生徒が授業料を長期にわたって滞納。困り果てた学校側はついに生徒を訴えることに。しかし、法廷で生徒は次ような持論を展開する。

「僕がこの裁判に勝てば授業料を払わないが、仮に負けたとしても、それは先生たちから十分な弁論技術を教わっていない証拠。なのでやはり授業料は払わなくていい。どちらにせよ僕は授業料を払わなくていいのですよ」と..。果たしてこのくそガキ、あ、いや、生徒が言ってることは認められるのでしょうか?

無論、答えはノーです。でも単純にヘリクツを却下されたわけではありません。というのもこの生徒はたった今、大衆の面前で堂々と巧みな弁論を披露したじゃありませんか。それらはもちろん学校で教わったもの。結局生徒は自ら墓穴を掘り、授業料全額支払ったのでした。おしまい。

もしこれを学校側が意図的にやっていたら凄いことですね。ただ教えるだけじゃなく、生徒のチカラをいつの間にか引き出してやれる指導者こそ、世の中に必要とされている気がします。




背の低い人がいなければ、背の高い人は存在しないだろう。 


太った人がいなければ、痩せた人は存在しないし、天才がいればバカがいて、カタブツがいればチャランポランがいるだろう。アンガールズがいなければ内山君は存在せず、マツコもデラックスでも何でもなくなるだろう。


そして、

不幸な人がいなければ、幸せな人は存在しないだろう。







平等な社会を目指すのは当然不平等な現実があるからであり、それは必ず対になっている。

そう。光があれば陰があり、表があれば必ず裏がある。世界はシンメトリーである。


私たち人間の感じ方にも必ず裏と表があり、『意志が強い人』は『頑固』とも取れ、『積極的な人』は『あつかましい』と取られることもしばしば。『素直な人』も『自主性がない人』になり、『さっぱりした人』は『単純なヤツ』扱いされるかもしれない。



感じ方。

ある人には風が暖かく感じられ、別の人には冷たく感じる。

風そのものに答えはなく、それは各々の感じ方でしかない。


他人の価値観に合わせていてはきりが無い。




いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。

理由はかんたん。時間がないんだ。




- スナフキン -


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ソフィスト。

紀元前のギリシアに存在した、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家、または教育家。



あるソフィストが、弟子の一人の授業料滞納に業を煮やし、訴えた。 

しかし、裁判で彼の弟子はこのように弁論する。

『僕が裁判に勝てば、当然授業料を払わなくていい。そして仮に負けたとしても、それはあなたから十分な弁論の技術を教わっていない証拠なので、やはり授業料は払わなくていい。どちらにせよ僕に授業料を払う必要は無い。』

と、非常に巧みな弁論を繰り広げたのである。


そう。結局この弟子は、師から学んだ弁論術を自ら証明してしまい、授業料を払うハメになってしまうのです。


そもそもソフィストの語源は、「智が働くようにしてくれる人」、と言います。

彼は先生から、まさにOJT(オン•ザ•ジョブ•トレーニング)で、自分の学びの成果を教えてもらったのでした。


こんな言葉があります。




人にものを教えることはできない。

できることは相手の中に既にあるチカラを見い出すこと、その手助けである。



- ガリレオ•ガリレイ -


その道を、あなたは自転車で行くことができる。

車で行くこともできる。二人でも、三人でも行くこともできる。

でも、最後の一歩は、自分一人で行かなければならない。自分で踏み出さなければならない。



だってそれだけは、

誰も教えてはくれないから。




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