逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:ロバ

ある日、ロバを飼っていた父と息子が町へロバを売りに行く。ロバを引き連れて歩いていると、それを見た通行人に「せっかくのロバだ、乗らなきゃもったいないだろ!」と言われる。「それもそうだ」と納得した父親は息子をロバに乗せる

その後しばらく歩くと別の者に「元気な若者が親に歩かせるなんて親不孝だ!」と注意される。「確かに」と納得した息子は父親と交代し再び歩き出すが、今度は「自分だけロバにまたがり子供に歩かせるなんて悪い親だ!」と言われ、「それもそうだ」と納得した親子は二人でロバにまたがる

しかし、今度は「重くてロバが可哀相じゃないか!」と言う者が現れ、ついに親子は一本の棒にロバの両足をくくりつけ運ぶことに。するとロバは暴れ出し、川へ転落して流されてしまった。結局、他人の忠告を聞き過ぎた親子は苦労だけして何も手に入れることはなかったとさ。

人の意見を聞くこと、受け入れることは重要。しかし、あまりに受け入れるとそれはもはや自分の足で歩いているとは言えないだろう。皆さんも、ついつい自分が自分でなくなってはいませんか?

あ、そうそう。この記事にも納得、しなくていいですからね。

 




ある日、お腹を空かせたロバくんは道を彷徨っていました。



そして、ついに道の先に干し草を見つけました。










ところが

















ロバくんは、もう一方の道の先にも干し草を見つけます。







どちらに行くのも距離は同じくらいです。


どちらの干し草の量も同じくらいです。








迷ったロバくんは決めきれずにそのまま餓死してしまいました。













なんだ。

ただの馬鹿ロバの話かよ。


あり得ねー。













なんて、つい思っちゃいますが、



この目の前に見えていた干し草を『チャンス』に、


そしてこの餓死を『後悔』に、置き換えてみませんか?











しっくりきませんか?












サッカー選手になってモテたい。

野球選手になってモテたい。






どっちも選べず、知り合いに紹介してもらった無難な仕事で妥協し、後悔を抱え死んでいく。 

もちろんその仕事を否定するわけじゃない。働くことはこの上なく立派なことである。 




でもそれを、もし疑問を抱えたまま続けているのであれば、ロバくんのケースとさほど変わらない。













歩いた先にも『死』が待っているかもしれない。




歩いたところで『後悔』するかもしれない。







でも立ち止まってちゃ、なんにも始まんない。








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