逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:人生

多種多様な病気が増えるこの世の中で、人々にとって、もはやなくてはならないもの、そう、薬。いっぽう、人々にとって一刻も早くなくなってほしいもの、毒。

しかし、この世には毒があるから薬も存在し、薬があるから毒も存在する。ときに薬は人の人生をボロボロにし、ときに毒は人の免疫力や生きるチカラを増大させる。つまり薬が毒になることもあれば、毒が薬になることもあるのである。

また、それらは目に見えるものだけでなく、世の中にある全ての「快楽」。快楽は薬にもなるが、一歩間違えれば毒にもなる。しかしその毒こそ、次に問題を抱えたときの薬になる。

両者は対極に位置するものではなく、ほとんど同じもの、なのかもしれない。
 

シンメトリー効果とは、人はシンメトリー(左右対称)なものに対して美しさや誠実さを覚え、好意を持つと言うもの。

例えば初対面の人と話す時、左右どちらかに体重を預けていたり、 どちらかの足を必要以上に伸ばしている。あるいはネクタイがどちらかに曲がっている。そうすればその人物を心から信頼することはおそらく難しいだろう。それが面接や交渉時だったとすればかなりのディスアドバンテージだ。

これは礼儀的な意味合いだけでなく、視覚によるシンメトリー効果が働き、左右対称じゃないものに対して好感度が著しく低下してしまう。もし傾くのがクセになってしまっているとしたら今すぐ、直したほうがいいですね。

だって、それだけであなたの人生を大きく左右してしまうんですもの。
 
 

ローボールテクニックとは、魅力的な条件でいったん相手に「YES」と言わせ、後出しで条件を変えたり増やしたりすること。

例えば、テレビを購入すると決めた客に、「保証がないのでオプションで3年保証が可能ですが、どうされますか?」と、購入決断後に商品保証がないことを告げる。また、美容院で髪を切り終えた後に「シャンプーが別料金」だと知らされる。そして結婚後のカミングアウトの嵐..。

全て法律ギリギリ、あるいは越えてしまっている。

気をつけなければ、人生は後出しで変えられるほどそんなに保証はされていない。

 

人間は物体に跳ね返る光を見て、いま、モノを認識している。


『0.2秒』。

反射した光が目に入ってき、脳がそれを認識するまでの時間である。もちろん個人差はある。それに個人の中でも毎回違うだろう。しかし平均は0.2秒。つまり我々は常に0.2秒遅れた世界を見ていることになる。そう、所詮人間は過去しか見れないのである。我々が見る世界に『現在』というものは全く存在しないのである。 



高速で走るF-1マシンも実際に走っているのはもう少し前。ボクサーが試合中右ストレートをもらうのも実際よりコンマ2秒前。だから予備動作を読まないと、よけたと思っても当たってしまうのだ。

そう。少し遅れてモノを見ている人間。防犯カメラに映った強盗犯を見て慌てて現場に駆けつけても、もうそこに犯人はいないように、自分が認識する頃にはそこにあったはずのものがもう存在しない可能性だって充分にあるのだ。


0.2秒。ほんの一瞬。

人の人生もほんの一瞬。そんな一瞬な人生の喜びや幸せも、すぐにではなく、ほんの少しだけ遅れてやってくるのかもしれない。



『ジャネの法則』とは、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明したもの。(※一部wikipediaより抜粋)

つまり、年を重ねるにつれ時間は短くなる。というもの。 



50歳の人間の10年は5歳の人間にとっての1年。

5歳の人間の一日は50歳の人間の10日。 



例えば、年を重ねるにつれて少し怒りっぽくなったり、涙脆くなるのは、それだけ時間を大切にしているからだろう。

入園式、初登校、はじめてのおつかい、初恋、初体験、初給料日。順不同ではあるが、若い頃は毎日がはじめてだらけで恐ろしく刺激的だった。しかしそんなこの世界にも徐々に慣れ、それと同時に少しずつ驚く回数も減ってきた。そうするとどうしてもあの頃のような刺激が足らず、日々の出来事も若い頃よりは印象に残らない。そして、印象に残らないから時間が短く感じる。




なら変えてやればいい。伸ばしてやればいい。

人生は太く長く楽しむことだって可能である。そのためには常に新しいことをすること、毎日ほんの5分でもいいから違うことをやってみる。あるいは同じことを違うやり方でやってみることだろう。


人は老いたから遊ばなくなるのではなく、遊ばなくなるから老いてしまう。そう、ハジけるのに遅過ぎるということはない。

人生は楽しめば楽しむほど伸びてゆく。




もっとハジけちゃっていいんジャネ?



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