逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:倫理問題

頭の体操です。重たく考えないで下さい。

ある船が転覆し、流された乗組員の男性が命からがら一枚の板を掴んだ。だがそこに同じく投げ出された別の男性乗組員も板を掴みにくる。しかし板の浮力は人ひとり支えるのがやっと。そのため、はじめにいた男性は後からきた男性を突き離し、突き放された男性はやがて溺死。板を掴んでいた男性は救助隊に助けられました。男性はその後裁判にかけられましたが、なんと一切の罪を問われることはありませんでした。

つまり、言ってしまえば危機的状況においては、『自分が生き残るためなら人を殺してもいい』とも捉えられるこの事故事件。確かに、もしあのとき男が別の乗組員を助けようとしていたら自分も生きて帰ることはなかっただろう。でもだからといって殺めても一切の罪に問われないのはおかしいのではないか.. いや、でもそうじゃないと今頃自分もろとも、いや、でも.. と、無限ループが始まる(始まらない人もいるかもしれないが..)。というお話です。

あ、だから重く考えるなと注意したのに。こっちまで沈んじゃいけませんよ。


とある小学校の生徒が校庭にゴミを投げ捨て、それを見かけた先生に叱られた。でもなぜだろう、普段はとてもいい子なのに..。先生が理由を尋ねると生徒はこう返す。

「だってせんせ、ゴミすてないとそーじのオバちゃんのおしごとなくなっちゃうもん」

さてこのガキ、いや、子供の言ってることはあながち間違いではない。この私立学校の経営状況は芳しくはなく、確かに学校がキレイなら清掃業者との契約は打ち切られる、あるいは条件が厳しくなる、つまり数人がリストラに遭う可能性は無きにしもあらず、なのだ。

そう考えた生徒はその後もポイ捨てを続けた。しかしその結果掃除のオバちゃんが視察にきた上司に手抜きとみなされクビになってしまうことになるとは、この時は知る由もなかった..。

そう、中途半端な優しさは必ず凶器になる。そんな優しさこそ今すぐポイ捨てしてしまおう。


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