『だーるまさんがこーろんだ。』
誰もが一度は幼い頃に経験したことだろう。オニが見ていない間、他のプレイヤーたちは動くことができ、オニが目を開けて振り向いた瞬間、ピタッと静止しなければならない遊び。
我々が見る世界も同じようなものではないか。
全てのものは知覚によってできている。自分が目をつぶっている間、さっきまで目の前にあったものがピクリとも動いていないとは言い切れない。そしてそれは目を開けると同時にまた元の場所へ。そう、物質は人に認識されるまでは構成されず、それは見た瞬間に構成されるのかもしれないのである。
始業式の校長先生の話や、酔っぱらった上司の武勇伝。デーブ•ス◯クターのギャグや、年越しをハワイで過ごす芸能人へのインタビュー。その中身は『意識』しなければ聞こえてこないし、自分の名前を呼ばれているのにボーっとしていて気づかなかった時。その声は自分には届いていなかった、聞こえてこなかった、つまり自分の中では存在していなかったことと同じである。
それはいくら自分がイイ話を持っていても、聞く人がいなければその話は存在しなかったことと同じであり、あなたがいても何も行動しなければ、あなたが存在していないことと同じである。
いくら『ありがとう』と思っていても、伝えなきゃ、そのありがとうは一生存在しない。
何度でも起き上がり、気持ちを伝えよう。