逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:幸せ

平等な法。平等な政治。平等な労働環境。現代社会で最も重要視される項目の一つ、平等。それだけ人々に取って大切な平等だが、しかし必ずしもそれが幸せを運んでくるとは限らない。

というのも、幸せと言うものは差があってはじめて発生するもの。断っておくが、これはなにも他人の不幸を嘲笑したりすることではない。損した人がいるから儲ける人が出てくるわけで、もめ事があるから弁護士は生活できるわけで、それはごくごく自然なこと。

不平等がなければ、人の成長はあり得ない。つまり、世の中が完全に平等になれば、幸せな人は一人もいなくなる。そう、どのみち人はみな平等に不平等なのである。

 

人間は物体に跳ね返る光を見て、いま、モノを認識している。


『0.2秒』。

反射した光が目に入ってき、脳がそれを認識するまでの時間である。もちろん個人差はある。それに個人の中でも毎回違うだろう。しかし平均は0.2秒。つまり我々は常に0.2秒遅れた世界を見ていることになる。そう、所詮人間は過去しか見れないのである。我々が見る世界に『現在』というものは全く存在しないのである。 



高速で走るF-1マシンも実際に走っているのはもう少し前。ボクサーが試合中右ストレートをもらうのも実際よりコンマ2秒前。だから予備動作を読まないと、よけたと思っても当たってしまうのだ。

そう。少し遅れてモノを見ている人間。防犯カメラに映った強盗犯を見て慌てて現場に駆けつけても、もうそこに犯人はいないように、自分が認識する頃にはそこにあったはずのものがもう存在しない可能性だって充分にあるのだ。


0.2秒。ほんの一瞬。

人の人生もほんの一瞬。そんな一瞬な人生の喜びや幸せも、すぐにではなく、ほんの少しだけ遅れてやってくるのかもしれない。



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