逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:意思決定論

沈黙の螺旋(らせん)とは、少数派の人間が、多数派の反対や孤立などを恐れて沈黙を通してしまう悪循環のこと。

たとえその人が合理的な意見やもっともらしい考えを持っていても、自分が少数派であると自覚すれば、そっと意見を胸にしまい黙り込んでしまう。そうすると多数派の意見はますます力を拡大させ、少数派はあれよあれよと衰退してしまう。

この理論を大きく左右しているのがインターネットだろう。互いが顔を合わせず様々な人が意見を交わせるインターネットの利用者は年々増加傾向にあり、また、メディアがひとたび『世論』という言葉を使えば社会は一気に同調してしまう。

テレビや新聞にインターネット。今の世の中はちょっと情報が多過ぎ。それではかえって視野が狭くなっていく。あんなものいっそ無くしてしまえばいい。と思いませんか?あ、思わないならいいんです.. が.. 

. . . . .

 

アビリーンパラドックスとは、組織や集団が下した決断とそれを構成する全ての構成員の意見が相違すること。

例えば金曜日の仕事終わりに上司が部下数人を飲みに誘う。部下たちは嬉しそうについてくるが、実はあまり乗り気ではない。というのもその日は雨だったし、そもそも部下たちはあまりその上司のことが好きではない。しかし別の部下たちが嬉しそうについて行くので「自分だけ行かないわけにはいかない」と、ゾロゾロと同調する。

一方上司は上司で実はその晩あまり体調が優れず、できれば早く帰りたかったが、ここ最近元気のない部下たちを見かねて飲みに誘った。つまり、だ。その晩、飲み会に行ったメンバー誰ひとりとして行きたくなかったのである。

このように、本音でのコミュニケーションが取れておらず、必要もないのに全員がやりたくなかったことを全員でやっているケースは決して珍しくない。まったく、二日酔いでもないのに頭が痛くなってきました..。



ある日、道に迷い、ひどくおなかを空かせたロバくんがおいしそうな干し草を見つけました。 

ところがロバくん、もう一方の道の先にも、これまたおいしそうな干し草を見つけてしまいます。 干し草までの距離は同じで、その量や、色合いさえも全く同じに見えます


ロバくんは迷います . . なかなかまっしぐらには行けません。迷って迷って、迷います。




あれ?

迷っている間にロバくん、餓死しちゃいました。












ロバくんのように、生きていれば世の中迷うことはたくさんあります。決断を迫られることはたくさんあります。受験、転職、起業、告白、プロポーズ。メジャー挑戦か残留か、それとも引退か。単勝1点買いか馬単総流しか、大島優子か前田敦子か、うどんか雑炊か、きのこの山かたけのこの里か . .


目的地は近くとも、歩かなければ辿り着かない。シュートを蹴らなければゴールネットを揺らせないだろうし、好きなコに告白しなければ付き合える確率は限りなくゼロに近いだろう。

行動を起こさなければそれは無いことと同じであり、グズグズしているということは時間を盗まれるということである。



大事なのはロバまっしぐら。いや、猫まっしぐら。

いや、




オレまっしぐら。




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ある日、お腹を空かせたロバくんは道を彷徨っていました。



そして、ついに道の先に干し草を見つけました。










ところが

















ロバくんは、もう一方の道の先にも干し草を見つけます。







どちらに行くのも距離は同じくらいです。


どちらの干し草の量も同じくらいです。








迷ったロバくんは決めきれずにそのまま餓死してしまいました。













なんだ。

ただの馬鹿ロバの話かよ。


あり得ねー。













なんて、つい思っちゃいますが、



この目の前に見えていた干し草を『チャンス』に、


そしてこの餓死を『後悔』に、置き換えてみませんか?











しっくりきませんか?












サッカー選手になってモテたい。

野球選手になってモテたい。






どっちも選べず、知り合いに紹介してもらった無難な仕事で妥協し、後悔を抱え死んでいく。 

もちろんその仕事を否定するわけじゃない。働くことはこの上なく立派なことである。 




でもそれを、もし疑問を抱えたまま続けているのであれば、ロバくんのケースとさほど変わらない。













歩いた先にも『死』が待っているかもしれない。




歩いたところで『後悔』するかもしれない。







でも立ち止まってちゃ、なんにも始まんない。








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