逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:才能

非凡と平凡。

一般的に、才能があり、フツーではない、非凡なものに人々は群がる。一方で、優れた特色もなく、面白みに欠ける平凡なもののことは無視同然。

そうなればもちろん、人は自然と躍起になって非凡を目指す。ところがどっこい、非凡になろうとすればするほどいつのまにか平凡になっていく。結局多くの人がそうなろうとしているからだ。

つまり、「非凡になる」ということほど平凡なアイディアはないのだ。


道具や設備は使われることに意味がある。使われるために存在する。


我々が渋滞に遭遇したとき、選択肢の一つに「高速道路に乗る」があるだろう。

高速道路。wikipediaでは、"交差点をなくすなどの出入り口制限の実施や、上下分離することで高速走行を可能とした道路" とある。

しかし、そんな高速道路は時にその定義から大きく外れてしまう。正月、お盆にGW... みんながみんな高速道路に乗っていれば、高速道路は高速どころか鈍足以下になり、全く機能しなくなる。

つまり、高速道路が高速道路である第一条件とは出入り口でも上下分離でもなく、使われないこと。使われないことではじめて使えるものになる。

あなたの使っていない才能も、ホントはものすごく使えるものなのかもしれません。

どうです?この記事使えそうですか?

 

このページのトップヘ