逆 説 幸 福 論

水のように考えること

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まず、こちらをお読み下さい。

「この ぶんょしう は いりぎす のケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげは もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす」


これ以上説明する必要ないですね。そう、始めと終わりさえハッキリしていれば、脳が空気を読んで、ちゃんと理解してくれるのです。人間は前後さえハッキリしていれば真ん中、つまり中身なんて案外ど~でもいいのです。

人生でも、始め(動機)と終わり(目的)がハッキリしていれば、中身(過程)は自ずとうまいこといくのかもしれませんね。

では、がっんばて くさだい ね。かげがなら おえうん しまてす。


パソコンのキーボードを適当に叩いて遊んだことはないだろうか? 

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こんなふうに意味のない文字が並ぶ。でも続けて打っていると、たま〜に簡単な言葉ができちゃったりしますよね、続けると。

ということは、ひたすら続ければ、無限に続ければ、いつかまともな文章を作り出すことも可能なのである。そう、たとえ猿でも打ち続ければ『ハムレット』のような名作だって書くことも可能なのである。もちろん『猿の惑星』も。

しかし、当然完成までにかかる時間は計り知れない。『banana』を打つ確率は1京分の1、たとえ秒速10万字打ったとしても100文字完成させるためには太陽の寿命の1無量大数倍の1000京倍かかるという。もうワケがわからない。完成させる頃にはパソコンがなければ、『文字を打つ』という概念すらきっと存在しないだろう。

でも、言葉、例えば『ありがとう』。

『あ』と『り』と『が』と『と』、そして『う』が並んだだけである。それぞれ一文字だけ言われても何のことかさっぱり。きっと『は?』と返ってくるだろう。ごちゃ混ぜにしても同じ。一生通じない。ところがただの文字の配列も、ある順番に並んだとき、それは魔法のように人々に勇気や愛を与えるものに生まれ変わる。

そう、たとえいつかパソコンがなくなっても、この先文字を打つことは無くなっても、あなたが言葉によって人の胸を打つこと、それは無限に可能なのである。

一皮むけたな。

 

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