逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:欲望

何でも揃うコンビニに、携帯一人一台は当たり前。漢字の読み書きや計算に、翻訳ですら機械がやってくれ、極めつけはクリック一つで世界と繋がるインターネット。急速に便利になりゆく現代社会。しかしその一方で、「幸せだ」と感じる人は以前より減っており、むしろ現代人が抱えるストレスの増大は留まることを知らない。

つまり、物理的な幸せと心理的な幸せは必ずしも比例せず、むしろ相対することがある。携帯電話を例に挙げれば、離れた人といつでも連絡が取り合えるようになった反面、24時間仕事やパートナーに拘束され、全身を見えない鎖で繋がれてしまった人は残念ながら少なくない。

しかし、だからと言ってもはや携帯やネットを手放して生きては行けないだろう。そう、lie(嘘)なしではbelieve(信じる)は綴れないように、『辛い』と『幸い』もいつも一緒に歩いてくるのである。


アクラシアとは、ある行為を悪いと知りながら欲望のままにそれをしてしまう性向である。

例えば、ダイエット中の人が夜中にケーキを食べてはいけないことを知りながら、欲望に負けて結局食べてしまうこと。または身体に悪いと知りながらタバコをやめられないこと。または明日早いと知りながら夜遅くまでyoutubeやfacebookを見てしまうこと。または買い物、ブランド品、カフェイン、パチンコ、酒、キャバクラ、ドラッグ、または . . .


あ~やめだやめだ!適切な例が多過ぎる。つまり、エンドレス。人の欲望はエンドがレスである。よく言う『欲のない人』も、結局欲のないこと、欲のない自己を欲している。人は欲望を燃やしエンドレスに生きていて、逆に欲が消えればエンド、死んでしまうのれす。


「欲」。我々の祖先と言われるアダムもリンゴが欲しかったから食べたのではなく、禁じられていたから食べたのだろう。つまり、我々は生まれもっての禁断の果実好きなのである。

しかし、禁欲→破壊→快楽ならば、嫌いなことを禁じてみればどうだろう。嫌いなことをどんなことがあっても絶対にしてはいけないことにする。好きなことでも多すぎれば嫌いになる。ならば嫌いなことを一度禁じてみる。禁断の果実理論が正しければすぐにやりたくてたまらなくなるはずだ。


そう、人間は欲望を燃やし続けて生きていく。欲望とはつまり生命活動のガソリンのようなものである。ガソリンが切れれば車は動かなくなる。ならば燃やし続けるしかないのだ。

でも、あんまり燃やすのに気を取られてアクセルも踏まず、未だアイドリング状態。ではないだろうか。



分かっちゃいるけど やめられねえ ア ホレ スイスイ . .
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