逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:水

門前や庭先などでよく見る、ズラーーーッと並んだペットボトル。

もちろんネコよけだが、もちろん効果などニャい。糞害に憤慨するのもわかるが、うちのニャンたちは枕にして寝ている。

しかし、アレをみた私を含め多くの愛猫家たちは、そんなネコ嫌いの家に、我が子のようにかわいがるにゃんこさんたちを遊ばせては何をされるかわからないので、自宅から出さないようにしたり、別の場所にネコの遊ぶスペースを作ったり、可能であらば最悪引っ越したりする。つまりなるべくその家からネコを遠ざけようとする。

ん?ということは、ペットボトルは、それを置いたネコ嫌いの人がたとえこのことに気づいていなくとも、彼らの思惑通りに機能してしまうのだ。「やっぱりネコって水が怖いんだ」、と。

このように、日常では結果とプロセスが違えども、気づかないうちにうまくいってしまうケースは、決して少なくニャい。

どうして水よりダイヤモンドの方が高いのか。

水は人間にとって必要不可欠。なければ必ず死んでしまう。それなのに比較的安価で、場所によってはタダ。一方ダイヤモンドは、必要な人には絶対必要かもしれないが、普通、なくても死なない。なのにダイヤモンドの方が圧倒的に高価である。これはちとおかしいのではないか。

だが実際はおかしくはない。そもそも、我々が言う『価値』には有用性である『使用価値』と、商品としての『交換価値』とがあり、使用価値が高く交換価値が低い水に対して、交換価値が高く使用価値の低いダイヤモンド。つまり生きるか死ぬかではなく、希少かそうでないかが価格に大きく関わっているのである。

人間の価値も自分にしかないもの、言わば原石を磨けば磨くほど、その人の世間的な価値は上がります。しかし、それが必ずしも使用価値の上昇に繋がるか、つまり世間が求めているかどうか、それはまた別の話、というわけです。 

 

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