逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:法律

平等な法。平等な政治。平等な労働環境。現代社会で最も重要視される項目の一つ、平等。それだけ人々に取って大切な平等だが、しかし必ずしもそれが幸せを運んでくるとは限らない。

というのも、幸せと言うものは差があってはじめて発生するもの。断っておくが、これはなにも他人の不幸を嘲笑したりすることではない。損した人がいるから儲ける人が出てくるわけで、もめ事があるから弁護士は生活できるわけで、それはごくごく自然なこと。

不平等がなければ、人の成長はあり得ない。つまり、世の中が完全に平等になれば、幸せな人は一人もいなくなる。そう、どのみち人はみな平等に不平等なのである。

 

旅客機のフライト中に急病人。

すかさずCAが「この中にお医者様はおられますか?」と、乗客に聞いて回る。そしてたまたま居合わせた医者が応急処置をすることに。と、ここまではテレビでよく見るシチュエーション。しかし、あろうことかこの医者は医療ミスを犯す。患者には後遺症が残ってしまい、その医者は訴えらることに..。

この医者の取った行為をできるだけカバーしてしまうのが、アメリカやカナダなどで施行されている『善きサマリア人の法』である。これは災難に遭ったり急病人が出た場合、全力で助けようとしたのなら、たとえ失敗しても結果次第で罪を問われない、というもの。

日本では似たような法があるのかないのか、その辺はあまり詳しくありませんが、日本にはサマリア人が減ってきている、そんな気がします。


 

頭の体操です。重たく考えないで下さい。

ある船が転覆し、流された乗組員の男性が命からがら一枚の板を掴んだ。だがそこに同じく投げ出された別の男性乗組員も板を掴みにくる。しかし板の浮力は人ひとり支えるのがやっと。そのため、はじめにいた男性は後からきた男性を突き離し、突き放された男性はやがて溺死。板を掴んでいた男性は救助隊に助けられました。男性はその後裁判にかけられましたが、なんと一切の罪を問われることはありませんでした。

つまり、言ってしまえば危機的状況においては、『自分が生き残るためなら人を殺してもいい』とも捉えられるこの事故事件。確かに、もしあのとき男が別の乗組員を助けようとしていたら自分も生きて帰ることはなかっただろう。でもだからといって殺めても一切の罪に問われないのはおかしいのではないか.. いや、でもそうじゃないと今頃自分もろとも、いや、でも.. と、無限ループが始まる(始まらない人もいるかもしれないが..)。というお話です。

あ、だから重く考えるなと注意したのに。こっちまで沈んじゃいけませんよ。


人の意見やアイディアを無視し続ける冷淡な男が有罪になった。判決は『無視刑』。自分が他人に行った無視の痛みを理解させるため、一年間、男は世界中の人に文字通り無視され続ける。

判決直後、「どうってことない」と開き直り女風呂に入ったり無銭飲食を繰り返す男だったが、ある日大きな事故に遭ってしまう。ケガを負ったのにも関わらず誰も救急車を呼んでくれなければ自力で病院に行っても受付すら通れない。男は絶望のどん底に落ちてしまうがなんとか一命を取りとめる。

やがて一年の刑期を終えた男は以前とは全くの別人のように人の気持ちを理解できる人間に生まれ変わっていた。のも束の間、ある日男は別の無視刑囚にバッタリ出くわす。哀れに思った男は話しかけ、さらに熱い抱擁(※無視刑囚に接することは法律で固く禁じられている)をしてしまい処刑されてしまう。今度は人の痛みをわかり過ぎたゆえに..。

という話。無視とは相手を意識してこそはじめて成り立つ行為。もしあなたが無視されて孤独を感じているのなら、そんなつまらない感情など無視してしまえばいい。


参考:『新トワイライトゾーン』(※一部脚色)

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