逆 説 幸 福 論

水のように考えること

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食べ物だけでなく建て物までも年々欧米化していく今日このごろ。そんな今日このごろになる前、子供たちの背徳ゴコロをかき立てまくった禁断の遊び、そう、障子破り。

バレないように指につばをつけて、ゆーっくりとスクリューをかけながら貫通させるあのときの喜びは、何ものにも代え難い。しかしやったはいいものの、ごまかすのはほぼ不可能。見つかればこっぴどく叱られる。でもあの「ぼすっ」という快感..。あの障子の向こう側には何があるのか。本当に窓や隣の部屋があるのか。ひょっとして異次元の世界があるのかもしれない。そんなことまで想像してしまう。

そんな禁断の障子破りにも、時にフィーバーが訪れる。そう、年末だ。年末の張り替え時にはオトナのお墨付き、いや、むしろGOサインが出て、思う存分障子を破ることができる。指でそっとあけてみたり、渾身の右ストレートをぶちかましたり。掟破りの目つぶしだって解禁だ。目は完全にイっている。 

5分経過 . . .

快感よりもむしろむなしさがこみ上げる。なぜだ。なぜあんなにやりたかった障子破りがこうもつまらないのだ。答えは「GOサイン」にある。そう、障子破りは禁じられていたからこそ、面白かったのだ。禁じられていない障子破りなど面白くも何ともない。

叶わないほうが幸せなことは、世の中には山ほどある。

 

この世のありとあらゆること、なんでもできる全能者。100mを1秒で走ったり、空を飛んだり、天気を自在にコントロールしたり、マナとカナを的確に見分けたり。

しかし、もしそんな人物が本当にいるとすれば、彼 or 彼女は、自分に持ち上げられないほどの重い石を持ち上げることができるのか。

「自分に持ち上げられない」のだから、持ち上げることはできない、しかしそれでは「なんでもできる」ことにならない。それは全能者でもなんでもなく普通のおっちゃんだ。つまり、だ。全能者は『できないということ』が絶対にできないのである。

よって、真に全能な者はこの世に存在しないのである。


 

平等な法。平等な政治。平等な労働環境。現代社会で最も重要視される項目の一つ、平等。それだけ人々に取って大切な平等だが、しかし必ずしもそれが幸せを運んでくるとは限らない。

というのも、幸せと言うものは差があってはじめて発生するもの。断っておくが、これはなにも他人の不幸を嘲笑したりすることではない。損した人がいるから儲ける人が出てくるわけで、もめ事があるから弁護士は生活できるわけで、それはごくごく自然なこと。

不平等がなければ、人の成長はあり得ない。つまり、世の中が完全に平等になれば、幸せな人は一人もいなくなる。そう、どのみち人はみな平等に不平等なのである。

 

仕事や学校生活など、集団行動にかかせないコミュニケーション。そんなコミュニケーションの能力は個々のスキルよりも重要視され、ほとんどの自己啓発本には少なからずそのノウハウが著述されている。では、「コミュニケーションが取れている状態」とはどんな状態か。それは相手の気持ちを理解し、それぞれが何をすべきかを知っている状態、つまり心が通い合っていること。

何年も同じ職場で働いてきた同僚や、何年も同じチームで戦ってきたチームメイト、そして同じ屋根の下で寄り添った夫婦。彼らにはもうお互いの考えや行動パターンが読めている。それゆえにムダな会話が全然ない。まるでテレパシーで交信しているようにさえ思わす。そう、つまりコミュニケーションが取れている人たちほど、コミュニケーションは必要なくなってきたりする。
 
言わんとしていることわかりますよね。え?わからない?そうですか..。私ももっと読者とのコミュニケーションが必要ですね。


 

高速化と言えば何が頭に浮かぶか。

おそらく道路かネットだろう。安全である限り、道やインターネットは速ければ速いほうがいい。いや、そうに決まってる。しかし、道路にしろネットにしろ、便利な高速ネットワークは、ときに高速であるがゆえに遅くなる。

なぜなら、速い方がいいに決まってるからである。速い方がいいに決まってるということは、みんながみんなそれを使いたがるということ。 みんなが速いサーバーや回線に集中すれば当然速度は遅くなるだろうし、道路で言えば、お盆やGWなどの見慣れた高速道路の空撮レポート。あれは、誰がどう見たって下道走った方が速い。

つまり、だ。ネットワークが高速化されるほどネットワークは混雑する。よく賢い人がたくさん悩みを抱え込て、頭の渋滞起こしてしまうのも、このせい、なのかもしれない。

授業中の携帯電話の使用禁止。ヘアカラーやパーマ、整髪料の禁止。男女交際の禁止や、在学中の免許取得禁止、自転車通学禁止、白基調以外のくつ下禁止..。とにかく禁止、禁止、禁止!禁止だらけの学校生活は、思春期のこどもたちにとっては、さぞ窮屈なことだろう。

しかし、そんな校則の網の目をくぐって、男子学生のズボンはジワジワとずり落ちていき、逆に女子のスカートは短くなっていく。異性とのメールも、先生の目を盗んでやるときほどトキメキは加速する。そして帰宅部の学生たちの髪の毛は、夏休みになった途端いっせいに突然変異。

. . . 楽しい。

それもこれも全て、日頃の厳しい校則のおかげである。つまり、校則が厳しければ厳しいほど、自由の価値は大きくなる。

そう、禁止されるほど、人は自由になれるのだ。


仕事が何よりも生きがいで、残業はもちろん、有給休暇は年がらねんじゅう消化不良。仕事が終われば趣味や恋愛そっちのけで接待に明け暮れ、休日にこっそりオフィスに出むいて働く人。けっして珍しくない。そんな一日中仕事のことを考えている人たちのことをこの世では『仕事人間』という。

その仕事人間の割合で他国を圧倒するわが国日本。だが、それだけ仕事につぎ込んでいる彼らは、果たしてフルパワーで働けているのだろうか。というのも、それだけ根詰めて働けば、睡眠時間や息抜きの時間は減り、生産性は間違いなく下がる。当然、ミスも増える。

つまり、本当に一日中仕事のことを考えている人間とは、仕事以外の時間はキッパリと仕事のことを忘れられる人、だったりする。





 

荒らし。

ものごとの秩序を無視して無法に振る舞うことで、近年では、インターネット上の掲示板やSNS、チャットやブログなどのコミュニケーションの場で、その利用者を不快にさせる妨害行為を行うことを指す。

そんな荒らしをやめさせようと、根拠のない誹謗中傷コメントに直接反応する。しかしこれでは彼らの思いのままで、気づけば自分が一番の荒らしになっていたりする。そう、つまり荒らしに反応すればするほどその場を荒らすことになる。

怒り。それは誰かに自分の大切な時間、つまり寿命を削り取られること。たいていは自分の嫌いな誰かに。
 
 

とある中学校のとある中間テスト。そこにありそうでなさそうなハプニングが発生。なんとクラスの全員が0点を取ったのである。

というのも、全員が問題を勘違いして解答。その問題は英作文で『夢について書きなさい』というもの。問題の意図する『夢』は睡眠時に見る夢。しかし生徒は勘違いし、各々の『将来の夢』を書いてしまった。

テスト前に夢に関する授業は行っているので先生に非は認められず、本来なら間違いとするところなのだが、なんせ全員が間違えたことにより生徒は一斉に反発、問題の説明不足を訴えた。

これには先生もお手上げ。結局、問題そのものが変えられて生徒の0点は帳消し。『将来の夢についての英作文』として再評価されたのである。めでたしめでたし。

全員が不正解ならそれが正解。これが世の中の正解なのである。

 

変人。変わり者。

大衆とは異なった言動や性格を持ち、極端に個性的な人のこと。いい意味でも悪い意味でも使われるが、どちらかというと後者として理解される方が多いかと思う。

例えば、ここに100人の変人がいるとする。みんな似たようなタイプの変人だ。この変人たちを常人に変えるにはどうすればよいか?もう100人、いや200人300人の常人を入れて中和させる。あるいは、どこぞの施設に連れて行き、徹底的に普通の考えを叩き込む。いやいや、もっと簡単な方法がある。

常人を1人、変人の中に放り込めばいい。そうすればあっという間に変人はたった1人になって、あとの100人は常人に。つまり常人から見た変人は変人で、変人から見た常人も変人。どんな人も必ず誰かしらの変人なのである。

私のような常人には理解し難い話ですが。 

え?

 

誰とでもすぐに打ち解けられ、人付き合いに積極的な人、社交的な人。 大衆とは違った角度からものごとを見つめ、独自の切り口で発想を展開する人、独創的な人。単刀直入に言うと、社交性と独創性は両立不可能だ。

というのも、社交的になろうとすればするほど、嘘でも人と同じアイディアや意見を持っていなければならない。でないといくら自分が社交的でも、もの好きを除いて、多くの人は自分には寄ってこない。人が寄ってこなければ社交する場もなく、従ってその人を社交的とは呼べない。

また、独創性を求めれば求めるほど、その意図を汲める人は減少。しまいに誰にも理解されなくなるだろう。いき過ぎたモダンアートがもはや誰にも理解されなくなってしまうかのように。

しかし誰一人として理解不能な発言をする人こそ究極に独創的ではないか。なんせ "独" 創的なのだから。つまり、だ。社交性を磨くには独創性と非社交的になり、独創性を磨くには社交性と非独創的にならなければいけないのである。 

どうです?こんな矛盾と社交的に、なれそうですか?

 

孤独。わかり合える人がおらず、独りであること。

なんせ現代人は孤独を抱えやすい。しかし、それはなぜなのか。電話はもちろん、インターネットを介したメールやチャットにブログや掲示板。コミュニケーションの場はここ数年で何倍、いや、何百倍にも増え、いまや世界中の人と四六時中繋がっていられるではないか。ところが、何を隠そうこれこそが、孤独を作り出している大もとである可能性が高い。

というのも、いつでも誰でも誰とでもコミュニケーションを取れるからこそ、それがなくなると異常に不安になり、疎外感さえ感じてしまう。SNS上に共通の友人が仲良く騒いでいる写真や、呼ばれていない親友の結婚式のお礼コメントを見つけ、哀しい気持ちに。あるいはほんの少し恋人からLINEがなければ、イケナイ妄想が、昼ドラ作家よりも頭に浮かぶ。

つまり、コミュニケーションの場が増えれば増えるほど、人は孤独を感じやすかったりする。たまには電源切って、自分とコミニュケーションする時間も大切、なのかもしれませんね。

 

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