どこでも行きたいところへ連れて行ってくれるドア、『どこでもドア』。あらゆるシーンで使われるほど重要であるどこでもドアはドラえもんが22世紀から持ってきた数あるひみつ道具の一つ。しかし、そのどこでもドアは本当に22世紀で使われているのだろうか。

未来が便利になればなるほど犯罪も多様化していき法律は厳しくなる。プライバシーの尊重なんかも今よりずっと重んじられるだろう。そうなればどこでもドアで他人の家に行くのは御法度だろうし、お風呂場なんてもってのほかだ。結局どこでもドアで行ける場所は固く固く制限され、結局どこかしか行けないドアになり、加えて人間のことだ、間違いなく通行料も発生するだろう。つまりどこでもドアは20、21世紀だからこそ成立しているのだ。

夢のない話。でもそうしているのは他でもない、我々だ。本来人々の暮らしを便利にするためのインターネット上に無数の犯罪がひしめき合っているように、これまで数々の便利な発明が生まれてきたが、一方でその使い方を誤り消えた、または大きく制限されてしまったものは決して少なくない。そう、便利と幸せは必ずしも比例しないのだ。