逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:認識

『百聞は一見にしかず』

百回聞くよりも一回見る方が確かなこと。ところが、人間の視覚というのは面白いもので、見たはずのものが実は見えてなかったりする。例えば、

「あ、ほら、あそこにウグイスがいるよ」
「え、どこどこ?」
「ほら、あそこあそこ」
「んー . . . . . .え?どこ?わかんない. . . .  あっ!ほんとだ」

と、指を指されてからウグイスを見つけるのに何十秒もかかってしまった。その間ウグイスは飛んでもいないし、たった一歩も動いていない。間違いなくその人の視界の中にウグイスは存在し、見えていたはずなのだ。

つまりものごとは単に目で見るだけでは不十分で、それを脳で認識してはじめて見ていることになる。「え、駅の横に喫茶店なんてあったっけ?」「え、そんなやつクラスにいたっけ?」..。と、これこそが視覚の死角で、いくら視界に入っていたとしても認識しなければ結局それはないものと同じで、見ていないのである。

そう、この記事もね。 


この広い広い世界のどこかに、音を立てずに倒れる木が存在するという。 その木はある国のある森の奥深くに生えており、ある時期なるとに急に倒れるらしいのだが、誰もその音を聞いたことがなければ、その姿カタチさえも誰も見たことがないという。

ん?ちょっと待てよ。誰もその姿や音を知らない?誰も見たことがなければその木の存在を証明するのには証拠が不十分過ぎやしないか?そんなもの存在しないことと変わらないだろ。

そう、その通り。誰も見たことないものなんて存在しないことと変わらない。イコールこれはガセネタ。エイプリルフールが終わったというのに申し訳ない。

でも、ということはこれと同じようにいくら自分が画期的なアイディアやスベらない話を持っていても、誰かに聞かれたり見られたりしなければそれは存在しないことと同じで、どれだけ心の中で人に感謝をしていても、どれだけ相手のことが好きでも、伝えなければはじめから存在しないことと変わない。つまり行動を起こさなきゃ自分はこの世に存在しないことと同じなんじゃないか。

倒れたって起き上がればいい。行動を起こすことであなたはこの世界に在り続ける。

スベっても知んないけどね

人間は物体に跳ね返る光を見て、いま、モノを認識している。


『0.2秒』。

反射した光が目に入ってき、脳がそれを認識するまでの時間である。もちろん個人差はある。それに個人の中でも毎回違うだろう。しかし平均は0.2秒。つまり我々は常に0.2秒遅れた世界を見ていることになる。そう、所詮人間は過去しか見れないのである。我々が見る世界に『現在』というものは全く存在しないのである。 



高速で走るF-1マシンも実際に走っているのはもう少し前。ボクサーが試合中右ストレートをもらうのも実際よりコンマ2秒前。だから予備動作を読まないと、よけたと思っても当たってしまうのだ。

そう。少し遅れてモノを見ている人間。防犯カメラに映った強盗犯を見て慌てて現場に駆けつけても、もうそこに犯人はいないように、自分が認識する頃にはそこにあったはずのものがもう存在しない可能性だって充分にあるのだ。


0.2秒。ほんの一瞬。

人の人生もほんの一瞬。そんな一瞬な人生の喜びや幸せも、すぐにではなく、ほんの少しだけ遅れてやってくるのかもしれない。




『だーるまさんがこーろんだ。』

誰もが一度は幼い頃に経験したことだろう。オニが見ていない間、他のプレイヤーたちは動くことができ、オニが目を開けて振り向いた瞬間、ピタッと静止しなければならない遊び。


我々が見る世界も同じようなものではないか。


全てのものは知覚によってできている。自分が目をつぶっている間、さっきまで目の前にあったものがピクリとも動いていないとは言い切れない。そしてそれは目を開けると同時にまた元の場所へ。そう、物質は人に認識されるまでは構成されず、それは見た瞬間に構成されるのかもしれないのである。


始業式の校長先生の話や、酔っぱらった上司の武勇伝。デーブ•ス◯クターのギャグや、年越しをハワイで過ごす芸能人へのインタビュー。その中身は『意識』しなければ聞こえてこないし、自分の名前を呼ばれているのにボーっとしていて気づかなかった時。その声は自分には届いていなかった、聞こえてこなかった、つまり自分の中では存在していなかったことと同じである。

それはいくら自分がイイ話を持っていても、聞く人がいなければその話は存在しなかったことと同じであり、あなたがいても何も行動しなければ、あなたが存在していないことと同じである。

いくら『ありがとう』と思っていても、伝えなきゃ、そのありがとうは一生存在しない。

何度でも起き上がり、気持ちを伝えよう。




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森の木々って、

倒れるとき、音しますよね?


ドデーン!?

バサバサっ?


メキメキメキっ?


うまくは表現できませんが、何かしらの音はするはずです。そしておそらく私たちは、それを聞いたことがあるはず。

見たこともあるはず。この眼で。


では、" 見てなければ " どうだろう?

森で木が倒れても、その音を聞く人がいなければ音を立てるのだろうか? 


 
『頭おかしいんじゃねーの? 音を立てるに決まってる。』


ありがとうございます。よく言われます。でも. . 『決まってる?』。
どうしてでしょう?



『んー . . . そういうもんだ。』

うまく説明ができないですよね。
なんせ、あなたはそれを見たことが無いのですから。


そう。
電車の音だって、テレビの音だって、美しい音楽だって、あなたが発しているその言葉だって . .『意識』しなければ聞こえてこない。あなたが勉強に集中していたりボーっとして人の話を聞き逃した時、その話はあなたには聞こえてこなかった、つまりあなたの中では存在していなかった。ことと同じですよね。

逆に、いくあなたが良い話を持っていても、聞く人がいなければそれは存在しないことと同じであり、そして、あなたがいても何も行動しなければ、それはあなたが存在しないことと同じなのです。


失敗したっていいんだ。

行動に出ることで、人は初めてあなたを認識する。

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