逆 説 幸 福 論

水のように考えること

タグ:SNS

メールにブログ、掲示板やオンラインゲーム、そしてSNS。ここ十数年で急速に広まってきたインターネットを介したコミュニケーションツール。人々は以前よりずっと気軽に、意見や時間を共有するようになった。形式は変われども、この手のものはきっとこれからも存在し続けるだろう。

さて、そもそもインターネットというのは、個人間や、企業間、はたまた国どうしのやりとりの際に、非常に便利かつ画期的なツールである。遠く離れた相手と直接会わなくても意見を交わせ、近況やスケジュール確認なども容易に可能にする。

しかしその反面、実際に会って話をするフェイス•トゥ•フェイスでのコミュニケーションは減少し、相手の声を聴いたり、顔を見るのはいつも端末越し。そして、気分転換に始めたSNSなのに、あまりに大量の情報でかえってストレスが溜まり、そのうえ他人と自分の人生を比較するクセがつきやすく、劣等感や疎外感を感じることも多々。

つまり、コミュニケーションツールとしてインターネットを使えば使うほど、社会的な能力は縮小してしまう可能性があるのだ。

え?じゃあこのサイトもそうだって?

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荒らし。

ものごとの秩序を無視して無法に振る舞うことで、近年では、インターネット上の掲示板やSNS、チャットやブログなどのコミュニケーションの場で、その利用者を不快にさせる妨害行為を行うことを指す。

そんな荒らしをやめさせようと、根拠のない誹謗中傷コメントに直接反応する。しかしこれでは彼らの思いのままで、気づけば自分が一番の荒らしになっていたりする。そう、つまり荒らしに反応すればするほどその場を荒らすことになる。

怒り。それは誰かに自分の大切な時間、つまり寿命を削り取られること。たいていは自分の嫌いな誰かに。
 
 

孤独。わかり合える人がおらず、独りであること。

なんせ現代人は孤独を抱えやすい。しかし、それはなぜなのか。電話はもちろん、インターネットを介したメールやチャットにブログや掲示板。コミュニケーションの場はここ数年で何倍、いや、何百倍にも増え、いまや世界中の人と四六時中繋がっていられるではないか。ところが、何を隠そうこれこそが、孤独を作り出している大もとである可能性が高い。

というのも、いつでも誰でも誰とでもコミュニケーションを取れるからこそ、それがなくなると異常に不安になり、疎外感さえ感じてしまう。SNS上に共通の友人が仲良く騒いでいる写真や、呼ばれていない親友の結婚式のお礼コメントを見つけ、哀しい気持ちに。あるいはほんの少し恋人からLINEがなければ、イケナイ妄想が、昼ドラ作家よりも頭に浮かぶ。

つまり、コミュニケーションの場が増えれば増えるほど、人は孤独を感じやすかったりする。たまには電源切って、自分とコミニュケーションする時間も大切、なのかもしれませんね。

 

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